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宮大工千年の知恵

『宮大工千年の知恵 語りつぎたい、日本の心と技と美しさ』
松浦 昭次 著 祥伝社 12.8.10発行

第1回 万代 勉

筆者:松浦 昭次さん

昭和4年、静岡県藤枝市生まれ。 17歳で父の後を継いで宮大工の世界へ。以後50年全国の国宝・重要文化財の修復工事に従事。海住山寺の五重塔など国宝5ヵ所、法隆寺の山門など重要文化財27ヵ所の修理に携わり、文化財専門の最後の宮大工といわれる。

平成11年6月、木造建築の棟梁としては故西岡常一に次いで二番目の「技術者の人間国宝」(選定保存技術保持者)に認定される。(以上裏表紙の紹介文による)

私の読み取ったこと

  1. 瀬戸内地方の中世建築のみごとさの秘密
    明るい瀬戸内の風土と経済的豊かさに支えられた信仰心が素晴らしい寺院建築を残した。その代表例が尾道の浄土寺本堂である。この建築は、国家的事業であった東大寺大仏殿を作った二人の大工の仕事であるが、国家的事業から解放された自由な工夫が日本の風土にふさわしい「折衷様」の反りを持った建築として結晶した。
    技術的には、より発達したはずの近世建築よりも中世建築のほうが優れているのは、近世になって作られた大工のマニュアル『匠明五巻』が、かえって大工の自由な発想を縛り、独自の工夫とその場に調和した建築を生み出そうとする努力をなくしてしまったことにある。
  2. 昔の建築のよさはどこから来るか。
    • いい素材を選び、その特性を生かして使っていたこと
      いまは、大工道具の発達で、時間をかけて木の自然を生かす工夫をするよりも、効率の上がる木の木目を無視した仕事をするようになっている。ヒノキなどの素材も人工的な生育環境の中で、脆弱なものになっている。
    • 礎石と柱の組み合わせにも自然石の複雑さを生かし滑らぬよう、適度な間隙で不要な湿気をのがす、「逃げ」の工夫が見られる。
    • 貫(ぬき)構造に木組みの知恵を生かされている。木は木と組み合わせて生きる。釘やボルト、筋交いでがんじがらめにされた現代建築では、それ以上の力が加わると破壊されてしまう。しかし、土壁は、木舞(こまい)を芯に、十分寝かせ腐らせた土で覆っているので、腐敗していて、雑草やカビが生えないし、壁全体が温度や湿度の調節をし、軟構造で強い力がかかっても上手にこれを逃がしていく。
  3. 五重塔の倒れないわけ
    五重塔は、中心を貫いているように見える心柱で支えられていない。つながっても接触してもいない。地面から離れていることもある。各層はその下の層に乗っかっていて、地震のときは各層が勝手に揺れることで、建物全体の揺れを吸収している。木組みで生まれる遊び、各層が独立しているという構造上の遊び、心柱という遊びが合わさって素晴らしい耐震性を発揮している。
  4. 日本建築の美しさの秘密
    • 垂木の工夫 飛檐(ひえん)垂木を使い、庇(ひさし)を深くし、端に行くほど反っていく曲線の美を生み出している。しかも、微妙に垂木の間隔を変えていくことで、規格品では出せない軒の美しさを出している。
    • その建物の置かれた地理的条件にふさわしく柱や垂木の間を変える。目の錯覚を生かすために建物をわざわざバランスを崩すわけである。

知恵を授かることば 13句

  1. 宮大工の仕事は、今の人が誉めてくれなくてもいいんです。
    百年、二百年たってから誉めてもらえればいい。昔の大工さんは、俺が建てたものは、俺が死んだ後も、ちゃんともってくれなくちゃ困る。何代ももたせるんだという気概をもって仕事をしていたもんですよ。
  2. 古建築の強さは、・・・「木と木を組み合わせてこそ生きる」
    という基本的なことをしっかり守っているところにあるのです。
  3. 柳に風折れなし。
    自然の力と喧嘩したら人間が負けるのは決まっています。地震が来ようが、台風が来ようが微動だにしない建物を作ろうなどと考えてはいけない。……地震が来たら揺れる、台風が来たら揺れる、それでいいんですよ。人間と同じですよ。真面目で几帳面な人ほどストレスに弱い。
  4. 文化財の修理の仕事を長い間続けていて、つくづく思うことは、
    理屈でものを見るな、ものそのものを見なくてはダメだということです。頭の中を無にして虚心に見るのです。・・・理屈が色眼鏡となって、本当のすがたが見えなくなることがあります。
  5. 寺社の拝観には正面から入る。
    ・・・写真よりスケッチがいい。
  6. 人間の手で作った竹釘は不揃いだからこそ抜けない。
    人間の手の仕事には不思議な力があるのです。
  7. 微妙にバランスを崩したほうが美しさと安らぎを感じさせる
    ものができることもある。建物は水平、垂直だけではない。傾けたり、左右でわずかに寸法を違えてみたり、いろいろな作り方がある。それが中世の規矩術の根本にあった考え方だと思います。また、そのほうが文化としては豊かなのではないかという気がします。斜めもあれば左右アンバランスもある。それでこそ人間の文化というものですよ。
  8. (学者は)現場を見ないで上手に報告書を書く。
    ・・・倒れたら計算外の力がかかったからだと言い逃れをする。昔の職人はそんな便利な言葉を知らなかった。
  9. 烏口(からすぐち)をなくしてしまったら
    一つの文化が絶えることになるのではないか。
  10. 最初から教えてしまったら、
    自分で工夫しようという知恵がでてこない。教えないのも教育法なのです。
  11. 若いときに出会う人は大事です。
    ・・・他人の飯を食うことで辛抱を覚えた。・・・今は、親も子もいい子になりすぎているのではないでしょうか。親は頑固で、子供は腕白。それでいいんですよ。
  12. 暗い現場はダメです。
    明るい現場を作るのも棟梁の役目なんです。
  13. 無心に木と向き合い、技術と向き合うから、新しいものが生まれてくる。

言わずもがなの感想と蛇足

感想

私が出会った方のなかで、不思議な存在感と味わいを残している人に、職人が多い。この本のように著名な人ではないが、仕事の邪魔になるのを気にしながら、その合間合間に聞く話には、なるほどうなずかされる。仕事ぶりとその成果と話との間に齟齬がないからであろうか。しかも、まだ若い人も例外ではない。実地訓練が技だけでなく、心の厚みも作るものに違いない。

そういう点で、いま徹底的に不足しているのが、家庭での実地訓練ではなかろうか。リンゴの皮がむけないのはざら、鉛筆が削れない、ひどいのはマッチが怖くて摺れない。家庭教育の役割を見直さず、学校にいま取り入れようとしている総合学習が、その欠点を補うことになるのかどうか。すべてが120パーセントの安全性を保障すべく準備された教室でのママゴトによって。(でないと、ママゴンが可愛い子が怪我をしないかしらという杞憂が払拭できないから)

こうしたゴッコ的教科の導入の先導役が、現場の実践に根ざさない文部科学省の先導だとしたら、やはりここでも規制緩和の必要性が出て来るのかもしれない。東大寺を作った大工さんでさえ、官の規制の前には真価を発揮できなかったという話にはこの点でも考えさせられるのである。

蛇足

  1. 2000年7月に京都文化博物館で、文化財保護法50年、文友会創立40周年記念の『京の匠展――伝統建築の技と歴史』が開かれた。たまたま見学した私はその周到な準備と、それにかけた職人さんたちの意気込み、その自らの仕事に誇りを持ち、ぜひに自分たちの命をかけて守ってきた仕事を知ってもらおうという気迫に打たれたものである。今手元にその時の図録があり、改めてページを繰りつつその一つ一つを思い返している。
  2. ちくま新書の新刊に『天下無双の建築学入門』(藤森輝信氏)がある。次の機会にこれを紹介したいと思うが、誰か先に読んでご紹介くだされは幸いです。

2002.1月 記

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