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湖西たより

湖西たより【4】

猪武者今昔

今朝の朝刊には、国公立大学と大阪府の私立高校の最終応募倍率が載っている。

現役のころ、進路担当として、3年生の担任として生徒の希望と現実との折り合いをつけるために辛苦したことを改めて思い出す。11回分の外部と校内の模擬テストのデータを過去の卒業生の合否と比較検討する会議がセンターテストの前後に4日間、徹夜に近い形で開かれる。その結果を基に、個人懇談、保護者懇談が続けられる。

毎年、その判定は80%以上の確率で合否と合致するのだから、本人の「合否」を予測する目安として無視するわけにはゆかない。実際、真剣勝負の入試も平素の模擬テスト以上の力を発揮することはできないものだと知らされるのである。

猪武者今昔

しかし、データはデータ、いつの場合でも客観的データはそれとして、一家揃っての願望は黙しがたいし、また一発勝負の強さを確信している<猪武者>もいるのである。

聞けば聞くほど、家庭事情も本人の意気込みもそれを許容せざるを得ない場合があるのである。だいたい、「受けるのは本人ですから」といわれればその通りなのである。

学校全体の進路成績が週刊誌をはじめさまざまなところで比較されるのであるから、進路会議で決められたところを受けさせることが出来ず、その結果失敗したら担任のメンツはないことになる。それを承知で本人の希望に添うことは大いなる勇気が要るのである。

ありがたいことに、その猪武者がイノシシぶりを発揮して思わぬ拾いものをすることもあるから救いもあるのだけれど。「おまえが阪大に通ったら、逆立ちして運動場を歩いてやる」といった彼が、いま旧富士銀行で活躍している。「先生、入って済みません。」本気な顔でそう報告してくれた彼は、私が逆立ちなど最も不得意なことは百も承知で、そのことには一言も触れずに済ませてくれたのだった。

中世軍記物を繙(ひもと)いていると、「猪武者」という言葉によく出会わす。「一所懸命 (自分の領地の所有権を安堵させるために、より有力な者に忠義を尽くすこと) の武士」にとって、主な手柄とは、

  1. 先陣を承ること
  2. 敵の首領の首を取ること
  3. 殿(しんがり)をつとめること(信長のもとで殿をつとめて出世したのが秀吉)

の3つである。

平家物語に「一二の駆け」という章段がある。熊谷次郎直実と子の小次郎が、一ノ谷の戦いで搦め手に配属されながら、ここでは混戦模様で一番乗り(先陣)の手柄が認められにくいから、播磨路に向かって西口から突入しようと謀る。ライバルの平山武者所季重も同じ思案をしていて、鉢合わせとなる。

真夜中に敵前に着いた親子は、「武蔵の国の住人、熊谷次郎直実、子息の小次郎直家、一ノ谷の先陣ぞや」と大音声(だいおんじょう)をあげて名乗るが、平家の城内は適当にあしらって応じようとしない。やがて季重もやってきて、また鉢合わせとなる。

先の名乗りが空振りに終わったので、夜が明けてから改めて「以前名乗りつる武蔵の国の住人、熊谷次郎直実、子息の小次郎直家、一ノ谷の先陣ぞや」とやり直す当たり、誠に素直で笑いを誘う。しかし、かくのごとく、一番乗りの功名は大だったのである。猪武者の面目躍如たる場面である。

先日、イーストウッド監督による話題作、「硫黄島からの手紙」を見た。アメリカ側から同じ戦線をえがいた「父親たちの星条旗」と対をなす作品である。私は、渡辺謙が演じる栗林忠道中将に猪武者の対極の武人像を見たように思う。

第2次大戦が悪化の一途をたどる1944年6月、留守近衛第二師団長という閑職から東条首相によって当て馬的に起用された栗林中将だが、彼は37歳でアメリへ留学し理性的な思考を身につけ、桁違いのアメリカの経済力・軍事力の実態を知り尽くしている。

星条旗

だから、いたずらな精神論を退け、徹底的な塹壕(ざんごう)による持久戦によって、一日でも戦局を長引かせ、それによってここを飛行基地とする本土空襲を阻止するという一点のために、死力を尽くす。圧倒的な火力・機動力の前にむなしい玉砕が続く中で、最後まで部下将兵の無駄死を禁じ、命を惜しみながら抵抗していく姿が、渡辺謙の抑制された演技によって描かれている。

大陸の行き詰まりを南方戦線で打開しようと、世界大戦を主導した青年将校たちの「花と散る」玉砕精神は、まさに「猪武者」の戦いであった。その結果、彼此の国力差を無視した戦いが始められ、国民は目隠しをされた中で、徹底的な消耗戦を余儀なくされた。戦いを収束させる多くの機会があったのに、決断をする勇気を持つ上層部が不在の中で、玉砕の悲劇が太平洋の島々で繰り返されたのだった。

いま企業は、リストラによる人件費の削減に躍起、その陰で日夜猪突猛進を余儀なくされている企業戦士がいる。情報化の進む中で、猪突ではないと信じつつ、実は情報過多の海底に埋没し、目の前を覆われて猛進している場合も多いのではなかろうか。日本的風土が「猪突」にあることを意識しつつ、我が家をも顧みるゆとりを作って働いてほしいと思うばかりである。

平成19年2月9日 改訂

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