私の借家の道を挟んだ真ん前の嘉田由紀子さんが、滋賀県知事選挙に出馬されると聞いたのは、昨年4月末引越の挨拶に隣家へうかがったときだった。
失礼ながら、知事さんが住まうような邸宅でもない。私の借家の家より大きいけれど、築50年は経っていそうなお家。
聞くところでは、応援しているのは、お勤めの大学関係の若い方が主だという。常識的に云えばとても勝負になりそうな選挙ではない。
「私はまだ選挙権がないので、残念ですね。」隣家が知事の家なんてかっこいいぞと思いつつ、やはり余り実現への期待は持てなかった。
ところが、結果たるや、ご存じの方も多いと思うが、現職の知事さんを大きく引き離す大勝。
「もったいない」の合い言葉の簡明な新鮮さが受けたのか、新幹線新駅を作るというプロジェクト自身があまりにも、現実的効用を無視した一部のための施策だったことが、これをピシャリ「やろたー」という「もつたいない」の最も具体的な提案への勇気が県民の心をつかんだのか。
ところで、嘉田さんの生まれは関東平野の養蚕農家。中学3年の修学旅行で京都へ来て、古寺の他に、比叡山や石山寺あたりを歩き、田んぼの間を流れる苔むした石積み水路の洗い場でおばあちゃんが菜っぱを洗っていたことが印象に残り、こんなところで勉強したいと京都大学を志し、農学部へ。
大学にはいって、友人と湖北を歩き、菅浦の民宿で、大きな鯉のつくりをごちそうになったことなど、自然と生活が豊かに結びついた近江の地に惹かれ生涯をここでと決心されたという。
県立琵琶湖博物館の立ち上げに参画、学芸員としてユニークな施設を作り出した。私が数年前、ハスの美しさに惹かれてここを訪れたとき、この博物館が多数の優秀な学芸員を抱え、京都大学との連繋のもとに、ユニークな展示と研究活動をしていることに目を見張ったものである。
そのとき、彼女の資質を見いだし重用したのが、相手候補の前知事さんだったそうだから、世の中は皮肉なものである。 飼い犬に手を噛まれるととればいいのか、後生畏るべしととらえるべきなのか。
懸案の新駅問題は、先行投資が相当進んでいただけに、進むもイバラ退くもイバラの道であろう。少しでも経済活動に関わった人ならば、むしろこんな困難で割に合わない課題を自ら背負って出馬などしないだろうから、純粋な科学者としての良心が生んだ決断に違いない。
ところで、私はここに住み始めてから、京都人の肌合いと滋賀人のそれとの違いをしばしば実感している。
近江商人の経営理念である「三方よし」の理念が人々に静かに受け継がれているように思うのである。バスに乗るにも、必ず先に乗り場に来た人から乗るのが暗黙の了解。
お年の人を先に乗せてあげようとしたら、お礼をしっかり云われてからやっと乗ってもらえる。高校生も例外でないのが清々しい。こうした人柄が、純粋に「もつたいない」と訴えた嘉田さんの勝利につながったのではなかろうか。
比叡颪(おろし)の名所である我が町比叡平の今年の元旦も真っ白な初雪で始まった。
隣家の知事さんの家には、正月にも人の訪れはなかった。静かに積んだ雪の下で、近所の猫が人恋しげにうろついている ばかりである。私自身もご本人とは3分ほど「子供ひとりが居残っていますので、よろしく」というご挨拶を受けただけである。
知事さんの家になってからすこし変わったことと云えば、受け持ちの巡査さんやパトカーがちょくちょく留守がちの家をのぞかれ、私とちょい話をしていくので、私の家も安心なことくらいである。
今年の知事さんの年頭挨拶は「教育の三方よし」。子どもの幸せや自立した人格形成に重点を置く「子どもに良し」、子どもを産み育てる若い人を社会的、経済的にサポートする「親に良し」、その相互作用の中で結果として社会の活力を生み出す「世間に良し」の3つの「三方よし」であった。
近江の伝統的理念を今一番の課題と結びつけられる知事の姿勢に、私は静かな重い決意を見るのである。
2007年1月8日 記