みんなの広場

知研岡山の幹事をして感じたこと

黒川 康コ

黒川幹事

今年、平成25年度から幹事の一員となりましたが、会員となっての4年余りは、ただ受け身で例会への参加等、のんびり過ごさせて貰っており、その慌ただしさを更めて知らされました。まだ4ヶ月ほどだけに、知ったというほどのことにはならないでしょうが、この4ヶ月の間に感じたこと、また知研岡山への想いなど、僭越とは存じながら、忌憚なく綴らせて頂きます。

伊藤新会長のもと、新しく幹事に仲間入りさせてもらい、15年という歴史に培われた界の幹事という大役だけに、その名を汚さないよう臨んでいるところではありますが、正直いって、オンブにダッコの状態です。

伊藤会長は、その方針とするところを「外に打って出る」と仰っていますが、ぼくもその方針には諸手を挙げて賛成するところにあり、活動への舞台は調ってはいますが、力不足は否めないところで、どれだけお手伝いできるかも、覚束ないしだいです。 ただ、その想いだけは人一倍あると自負するところですので、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

伊藤会長

以下は一般論ですが、ぼくの想いの一端でもありますので、目を通して頂ければ幸甚です。

堺屋太一氏は、その組織論において「全ての組織はそれぞれの目的のために立ち上げられているが、その目的が達成された段階から自己目的化へと向かう」と述べられています。その最たるものが国鉄であったのですが、国鉄は民営化することによって再起をはかっていますが、現在、その渦中にあるのが「農協」だというのです。 たしかに、農協の衰退には目を覆うものがありますが、果たして再起が図れるのか……。

では、組織の自己目的化を防ぐ手立てとなりますが、一つには、その目的を替えることであり、他の一つが、イノベーション、つまり絶えざる変革をはかることでしょう。

あらゆる組織が人間の関わりによるものだけに、キーワードはやはり「人間」となりましょうが、関わり合う人間が組織に「従属」するという、本末の顛倒もまま見受けられます。

公共的組織にあっては、さも「実体」があるかの如くの錯覚に陥りがちな面もあり、まるで組織が主体であって、そこに属する人間が客体と化してしまっているようにさえ見えます。ただ、例えば、知研岡山のような任意組織にあっては、実体と呼べるようなものは何もないわけだから、そこに所属する人間こそが主体者そのものであって、その人間の有機的なつながりそのものが組織として成り立っていることになりましょう。

以下は、ぼくの主観に基づいた想いです。

有機的なつながり、つまり円滑な人間関係こそが組織の全てといっても過言でなく、それこそが組織の意味でもあり、そこにこそ組織の発展とそこに関わる人間の、人間としての成長が図れるというものではないでしょうか。

ましてや、それが知的生産の技術研究会というのであれば、なおさらのことと思います。そこで、ぼくの抱く「知的生産の技術研究 について記させて頂きます。

まず「知的」ですが、これは孟子のいう「良知」つまり「心における絶対善なる心境 と解してます。そして、その生産ですから、絶対善なる心境の発露となり、その技術研究となります。ですから、この組織を通して日常における平安な心境への涵養、少なくとも、ぼくはそのような位置づけにおいています。

――人は、人を通してのみ成長が図れる――ともいわれます。現在、会員数50名と伺ってますが、そこには計り知れない可能性も秘められています。それもこれも、その50名がどこまで有機的なつながりを得られるか、また主体性が発揮できるかにかかっているのではないでしょうか。

口幅ったいことを延々と綴りましたが、自分が所属する組織の発展・成長を図りたい想いのなせるところですので、幹事の皆々様の鷹揚さをもって、ご寛恕を願うしだいです。

2013.6月 記

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